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【当時の記憶】3.11東日本大震災を振り返る

今日は3月11日。東日本大震災から早くも13年の月日が経ったみたいです。幸い自分は地震による大きな被害はなかったんですが、色々と心境の変化があった大きな出来事でした。

今回は震災当時の自分のことを話しつつ、何を考えてたのか振り返りたいと思います。

 

 

まず、地震が起きた時のことについて。

その日は中学の卒業式前日でして、午前中にリハーサルをやって午後は家に帰ってました。地震発生時は確かウイイレをしてたと思います。

いきなり大きな揺れが起こって、それが1分くらい続きましたね…。あんなにでかい揺れが長時間続くという経験は初めてだったので、いかに規模がでかい地震かは速報を見るまでもなく分かりました。

 

地震によって電気と水道が止まり(オール電化なのでガスは関係なし)、ウイイレを起動してたPS3も電源が落ち、うちはマンションなんで建物内のエレベーターも止まる始末。

ひとまず外に出て避難するんですが、このエレベーターが使えないという状況が一番きつかったです。11階に住んでるので、外に出るにはそれを階段で往復しなければならなかったのがしんどかった…。おかげで少し痩せましたが。

 

外に出てみると、普通に倒壊してる家もありました。近所の友人は家のテレビが倒れて家の中もうめちゃめちゃと言ってたし、親戚の家は仏壇がひっくり返り、飼ってる猫が逃げてしまったらしい。猫はその後、勝手に家に戻ってきたので動物の本能に感銘を受けたのは今でも覚えてます。交通網は麻痺していて、うちの親父は車でなく歩きで何時間もかけて帰ってきてましたね。

そして、卒業式を控えたうちの中学の体育館は天井が剥がれて使い物にならなくなり、修繕後は避難所に使われることになるので卒業式は延期になりました。地震が起きた次の日に学校にとりあえず行ったらそう言われました。

 

地震後はすぐ買い出しに出たのですが、スーパーはもちろん、コンビニも中がめちゃくちゃでした。自分はコンビニで買える物だけ手に持って、手動でレジ打ちしてもらって買い物しました。普段あまり降らない雪がここぞとばかりに降ってきてタイミング悪すぎるわと嘆いてました。

水汲みも行きましたし、とりあえず1週間は生き延びられるくらいの蓄えを用意して後はずっと家にいながらラジオを聴いてましたね。

 

地震から確か3日後に電気が復旧して、うちはオール電化なのでそれでトイレや風呂が復活。親戚やその友人がみんな揃ってうちに風呂入りに来てたのを覚えてます。

そして、電気が戻ってすぐに付けたテレビに映ってた衝撃の光景…映画さながらの津波に町が呑まれてる映像。誰しもがだと思いますが自分もトラウマです。なんでこんなことになってしまったんだろうなとか、自然の脅威の前では人は無力なのかなとか、中学生の自分にはそういうことしか考えられませんでした。

 

その後は中学校からの連絡が来るまでニートの日々。卒業式よりも先に高校の入学式がやってきましたり自分の高校は公共交通機関を使わないと行けなかったのですが、当然まだ復旧してなかったのでしばらくは親の車で送り迎えしてもらってました。

高校では自分の中学での生活よりも充実した生活が待ってました。中学ではドがつく程の陰キャで、友達がほぼいませんでした。しかし、高校ではそれなりに友達ができて楽しく過ごしてました。高1が一番楽しかったんですが、その時の出席番号が「28」だったことから自分の一番好きな数字になって車のナンバーにもなってます(サッカーの背番号10を2+8で表現することにもちなんでますが…)。

 

そして、楽しい高校生活の日々の中で、4月の後半あたりに中学の卒業式がありました。卒業式の場所はなんと、自分が落ちた公立高校の体育館でした。あまり良い思い出がなかった中学時代というのも相まって、あまり心地よい卒業式にはなりませんでした。

卒業式後は早々に帰った記憶があります。新しいスタートを切った自分にとって振り返る必要のない過去だと、そういう思いがありました。

 

 

このように、自分の場合は震災が起こったタイミングがちょうど自分の生き方を見直すタイミングと重なっていたのです。新たな転換期、丁度良い節目、とでも表現しておきますか。

同時に、生命の尊さを明白に知った時でもあります。多くの命が簡単に失われることの恐ろしさ、人生がうまく行ってないからといって簡単にそれを手放してはいけないんだなと、こんな形ではありますが強く思えるようになった出来事でした。

そして、今ある生活や状況をより良いものにしていって、亡くなった人の分まで一生懸命生きたいなと思い、それが新たな自分の生きるうえでの活力になりました。

 

その後は、細々ではありますが友達も作って陰キャなりに楽しい学校生活を送りましたし、彼女を作って人生支え合って生きていくことの素晴らしさも学びました。中学までの自分では決して辿り着けなかった境地だと思います。

 

まだ、運命の人とは出逢えてませんが、この転換期がなければ今のような自分とはまた違った卑屈な自分がいたと思うので、この経験を自分の財産として、幸せになれるようにこれからも頑張っていきたいです。

 

 

何が言いたいのか伝わりにくかったと思いますが、とにかく震災が自分の考えを変えて強くしてくれたということです。

ちょっと、サッカー見るので今日はここまで。まずは今日一日も無駄にしないように生きていきます。